ついに来るべき時が来ました。今年の3月いっぱいで野麦学舎の閉鎖決定。野麦最後の春キャンプになりました。野麦学舎へのお別れの気持ちを込めて、広く参加を呼びかけましたが、これも「限界キャンプ」なのでしょうか。参加者はリピーターの3名、高校生リーダーとゲストを入れても6名。……でも、参加者の心意気が違いました。これまでの「春の野麦」の中で最も充実した最高のキャンプになりました。
初日の野麦入り。別れを惜しむのか、野麦学舎は霧の中にたたずんでいました。あたりは一面雪のフィールドで、早速、板(クロスカントリースキー)を履いて出発しました。雪のグランド(旧高根小学校野麦分校の校庭)。から滑り降りて、民家の裏をまわり込んで森の中に入ります(スキーを履いてどこにでも行ける!)。道路を渡って集落の下(しも)の畑を滑ります。(これで春のキャンプで、野麦の中、周辺の雪の畑、森を全て踏破!)続いて、上(かみ)の畑に向かいます。(この時期、下や高山のほうに下りてしまっている人が多く、住んでいる家はわずか2軒)集落はひっそりと静まりかえっています。遅い昼過ぎの到着でしたが、いきなり、ネイチャースキーでしっかり遊ばしてもらいました。夜は梶さん(梶浦敬一先生)のスペシャルプログラム。「糸引き」の工女の歴史で有名な野麦にちなんで「繭玉細工」を教えてもらいました。今回の参加者はみな集中力を発想力がすばらしくみごと名作品が出来上がりました。
2日目はネイチャースキー三昧。午前に合流予定の高校生リーダー到着に合わせて時間を早めてのスタート。「鉄塔の森」に遊びに行きます。雪解けで動物の足跡跡はほとんど消えかかっていましたが、カモシカの足跡はしっかり残されていました。積雪量は例年になく多く、いつもは滑りの障害になる「しし垣」(かつてあった畑を動物から守るための石積み)も雪の下に埋もれ、どこでの滑れる状態で気持ちがいい。
高校生リーダーが合流して、集落の中の畑に滑りに行きます。緩やかな畑の傾斜を滑るだけでは物足らなく子どもたちは除雪でできた雪山の上からの滑るのに挑戦します。
そして午後からはキャンプ場往復。途中までは板を担いで歩きます。(除雪はネイチャスキーにとっては障害です。)キャンプ場脇の雪に埋もれた最源流の小川を遡っていきます。すると、クマが入れそう大きな洞がある巨木を発見。さらに登っていくとりっぱなクマ棚が!(キャンプ場の近くなので大きな声では言えませんが)この辺りはクマの楽園なのかもしれません。帰りはキャンプ場の雪の斜面を思い思いに滑る下りてネイチャースキーの楽しい一日を終えました。
3日目はメインプログラムの雪上オリンピックとイグルー作り(翌日が雨の予報で1日前倒ししました)。雪上オリンピックは<聖火台>作りから。うまい具合に除雪された雪がグランドの隅に高く積み上げられていたのでそれを利用しました。そして聖火リレー(初めての試み。ちゃんとトーチも作りました)からスタート。開会式の選手宣誓から始まり、<雪玉的あて>、<バブルの塔>(雪で積み上げた塔の高さ比べ)、<雪上カーペットレース>、<スノーフラッグ>(ビーチフラッグの雪上版)と競技が進み、最後は<8の字CXスキーレース>。全員死力を尽くして戦い、白熱した競技の結果は?……、引き分け。その裏には競技委員長(兼名誉総裁)梶さんの絶妙な配点の配慮がありました。
夜は<野麦学舎さよなら会>。子どもたちが翌日の<囲炉裏端の集い>に向けて話し合い、準備をすすめる間、大人たちは隣の野麦の館(これも3月いっぱいで閉鎖)で最後の別れの宴を開きました。野麦キャンプの卒業生の父母、キャンプに関わった指導者などいろいろな人が集まり、別れを惜しみました。私自身はこれまでいろいろな人に支えられてこの日まで野麦キャンプ続けられた奇跡のような日々を思い起こして、思わず感慨の涙を流してしまいました。
そして、最終前日、<囲炉裏端の集い>になだれこみ、子どもたちが趣向を凝らした出し物を演じる中、大人たちとっては改めて野麦キャンプの思い出にふける一夜になるのでした。
(良さんこと高屋)
2014.3.27-31